何も残さない人生が素晴らしい理由と、9割以上の人は実現不可能だという根拠

何も残さない人生が素晴らしい理由

「何も残さない人生」

この言葉を聞いて、あなたは何をイメージしますか?

「無駄だ」「それだと意味が無い」etc・・・、

恐らくですが、あらかたマイナス寄りのイメージを思い浮かべたのではないか?と私は推測します。

しかし、何も残さない人生というのは、突き詰めて考えると非常に素晴らしいものであり、それでいてこの世に存在する9割以上の人が、これを実現するのは不可能なことなのです。

今回は「何も残さない人生」について

  • 何も残さない人生がなぜ素晴らしいのか?
  • 9割以上の人が「何も残さない人生」を実現不可能である根拠

これらについて深く堀り下げていきたいと思います。

もくじ

何も残さない人生がなぜ素晴らしいのか?理由について

「何も残さない人生」を言葉通りに捉えると、その人がこの世を去った時に、その人が生活していた場所に何も残っておらず、現在この世に生きている人に何の影響も与えていないという状況になりますよね。

つまり、その人が去った後「ゼロの状態」になるということです。

これの何が素晴らしいのか?といいますと

余計なゴミやガラクタが一切残されておらず、現世にいる人に一切の悪影響を与えていないという所なのです。

ゴミやガラクタを残さないということは、
現世に残された人にモノを処分させる負担を一切押し付けることが無く、自然環境を汚したり破壊することもありません。

現世にいる人に悪影響を与えないということは、他人を不幸にしないという大きなメリットがあります。

ゴミやガラクタを残さず、他人を不幸にせず、地球環境も汚すことは無い。

意味がないどころか、非常に「徳の高い人生」だと言えるのではないでしょうか?

逆の例「何かを残した人生」について考えてみると・・・

逆に「何かを残した人生」について深堀りしていきましょう。

「何か」というのは、人によって様々でしょうが、思いつきそうなものから挙げると

お金 子ども 地位 名誉 作品 などでしょうか。

これらは確かに、この世を去る時に残しておくと、世間一般的には残された者の為になるとされてはいますが、何もメリットばかりではありません。

そこには必ず「デメリット」も存在しています。

例えば、ある人がこの世を去った後、遺産として大金を残していったとします。

そしたら必ずといっていいほど付いて回るのは、その大金を誰がどれくらいの額相続するのか?という「相続問題」です。

遺族となる子どもや親戚関係がお金や土地などの相続でモメるのは、昔からお決まりのパターンで、小説やドラマの題材にも度々なっていますよね。

仮に遺言書があったとしても、全員が納得できる内容でない限りは、将来に禍根を残すことは避けられないでしょうし。

自分が残した「お金」により、自分が残した「子どもたち」が争いごとを起こしたり、二度と顔を合わせたくないくらい憎み合ったりするのであれば、本当に切ないことですよね。

この世を去った後の状況がドロドロしていて、全く美しくありません。

また、子どもが一人っ子で争いなく遺産を相続したとしても、それを嗅ぎつけてお金にたかろうとする人物もしくは業者が後から沸いて出てくる可能性もありますね。

お金にたかろうとする人ほど、そういう情報を秒速で嗅ぎつけてきますから、本当に厄介ですよ。

地位や名誉は、その人自身が居なくなってしまったら意味ないですし、作品だって、余程の著名人の作品でない限りは残された者にとってゴミ・ガラクタとなってしまうかも知れません。

こんな風に考えると「何かを残す人生」って、残された者にとってそれほど良いものではないと感じることができますよね。

ゴミやガラクタだけではなく、場合によっては争いのタネも残していくのですから。

何も残さない人生に比べると、スマートさに欠ける部分があることは否めないでしょう。

9割以上の人が「何も残さない人生」を実現できない。その根拠は・・・

何も残さない人生とは「クリーンで潔く、非常に徳の高い人生」だということは前述した通りですが、残念なことに、この世に生きる9割以上の人は、これを実現できません。

なぜなら、私達がこの世を去るときに、1つだけ必ず「やむを得なく残してしまうモノ」があるからです。

それは、私達がこの世で使用していた身体です。

私達がこの世を去るとき、身体を持っていくことは出来ませんので、その場に置いていく必要があります。

その場に置いていった身体は、すぐに消滅しません。

微生物によって分解されるまで一定の時間を要しますし、そのまま置いておくと異臭を放ったり、害虫を呼び寄せてしまう可能性がありますので、ご迷惑をおかけしてしまいますが、この世に残った人に「然るべき処分」をお願いするしか無いのです。

ただ、たくさんの故人の中には、現世に置いていった身体が、何らかの作用によって瞬時に消滅してしまった人も存在する可能性があるため、「9割以上の人は実現できない」と敢えて記載することにしました。

しかし、特別な事情が無い限りは、自分の現世で使っていた身体をそこに置いて旅立つしかないため、「何かを残す人生」を選ばざるを得ない訳なのです。

こればっかりは、どうしようもありません。

何も残さないクリーンな人生に近づける終活

何も残さない人生を100%実現できる訳ではないけれど、今、私達が出来る事。

それは、この世を去るときにゴミやガラクタ、争いのタネを残さないよう、生きている間に身の回りをクリーンにしておくことです。

不必要なものは早めに処分し、出来る限り身軽にしておけば、残された人の負担を最小限にして旅立つことが出来る訳ですから。

私も現在「絶賛終活中」で、毎日のように不用品の処分に勤しんでいますが、家の中から続々とガラクタが出てきて、その度に驚いてます。

40代で終活を始めて、このような有様なのですから、もっと年を重ねてから片付けを始めた場合、恐らくですが、それより遥かに多くのガラクタがため込まれて大変なことになっていたかも知れません。

そう考えると、なんだかゾッとします・・・。

出来る限り「何も残さない人生」に近づけてクリーンに潔くこの世を旅立つために、そして何より「自分への負担を軽くするため」にも、終活は出来る限り早めにスタートすることをオススメします。

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